絵を学ばれる皆さんへ

教室の特徴 2 (指導の具体性)

私自身の受験の時、何枚もデッサンを描いて、ようやく分かったことがある。
さんざん悩んで、たどり着いた答え(解決策)はこれか?…
わずか数歩前進のために、何ヶ月もかかった。

なぜ教えられないのだろう…。 “自由に(?)描かされ、遠回り。
例えばモチーフの組み方ひとつをとってみても、伝えるべき大切なことは沢山あったはずなのに…。

“教わるものでなく、自分で見つけるもの”?
そういう考えもあるでしょう。
しかし、いま私はそれを、“掛け算の九九の様なもの”と考えています。
それを自分で見いだすことに、時間を費やす価値はない。
九九や方程式を学んだ上でも、その者自身でしか見い出せない旅は、ずっと続くのだから。

教室の特徴 3 (雰囲気 他)

教室は基本的に自由。
途中入退出も自由。音楽を聞きながらO.K.

見学の時、全く熱意が感じられなかった子が入会後、ものすごい集中力で描き続ける姿を見せる事がある。
また教室でいつも輝く子が「学校では、どこに居るのかわからない子」と聞いて驚いた事もあった。
学校では、自分が発揮できない子の、どこよりも心地よく
“自分を発揮できる居場所”になっていると実感する時、
私はこの教室の存在意義の1つを強く感じる。

他のいくつかの画塾で報われず、少し疲れながら私の所へ
“受験を超越した何か”を求めるように、
「“絵”を教えてください」と来た浪人生にも胸を打たれた。(半年後、東京造形大に合格した)

常に描き続け、発表(出品)し続ける私の側で初めて伝わる何かがあるのかもしれない

長浜から中学生が通う。(喜びと責任に、胸が熱くなる。)
木之本から、日野から、永源寺から、三重県から、京都から、姉を教えた後、弟、妹が通う。
ここを卒業して、再び学びに来る生徒もいる。

他の画塾で学んできた者ほど、違いを実感

生徒個々の能力には、かなりの“個人差”があります。

何十人も生徒がいれば自然と優秀な者を含み、 その作品や進学先が塾を飾ります。
一般に、大きな塾が高レベルに見える理由の一つはそこにあります。
しかしそれは一部の優秀者の成績であり、塾の平均的なレベルを示すものではありません。

そして、伊庭美術教室のような小さな画塾では、そういう機会に恵まれることはなかなか難しいです。
本当にしっかり育てていかなければ、
毎年素晴らしい作品を生み出すことはできません。
まずは、一人一人の作品と丁寧に向き合い、
細かく粘り強く、しっかりと教えていかなければなりません。

(授業というものは、”ノミコミ”の早い一部の優秀な生徒を指導するほうが、
全員の底上げに挑むより、労力が少ないかもしれません。
また、難関校の合格者数や作品のほうが、画塾としてのPR効果が高いかもしれません。
しかし私が、誰一人の漏れもなく指導に取り組むのは、
私自身が学生の時、それを希求していた経験を裏切ることができないのです。
それが教室を立ち上げた大きな動機の一つだからです。)

塾選びの大切なポイントを、数時間の見学で判断することは難しいかもしれませんが、
もし、小さな画塾で、毎年のように優秀な作品が生まれているとしたら、
そこには確率を超えた確かな指導があるのかもしれません。 

伊庭広人

ー卒業生の言葉ー
高校生の頃通っていた、某大手画塾のことから思い出す。
そこでは大人数を指導するために、全員で同じ課題を同じ時間内で取り組み、合評は毎回ランク分けされる。 しかし厳しいだけでなく大人数で受験に向かっている安心感もあった。

浪人してから私はこの教室へ見学に来た。 今までからは考えられない自由な雰囲気の中で、生徒はそれぞれ別々の課題に取り組んでいた。少人数だからこそ、先生は細かく具体的に指導する。
前の画塾で2年間も同じような制作をしていたのに、自分の作品の傾向・癖・長所短所などが判ったのも、この教室にきて初めてのことだった。

そこで思うに、おいしいとこ取りをすれば良いのだ。  某大手画塾には市立芸大受験生を対象にした”実技模試”がある。 外部の生徒も受験できるもので、当日の環境に近いものが体験できる。 そして日々のベースはこの教室での指導が良いように思う。こう書くと宣伝みたいだが、ちょっとしたまわしものなので仕方ない。

そして大切なのは、実際に教室へ行ってから心を決めること。 肌に合う教室へ行くのが何よりも一番であると思う。
(京都市立芸術大学合格者 Tさん)

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